昭和44年1月16日 夜の御理解
より明るく、よりにこやかにという、まあ、今年、年頭の、今年一年信心の焦点として得ておりますことの難しさを、まあ、日にちの体験の中から、いよいよ難しいことだなと、取り組む事によって、それを、いよいよ思うんですけれども、こういう事柄、こう言うことの中にはニコニコではなくていいとか、明るくない心でもいいと言うことはないのです。
どんな事柄のなかにあっても、私はにこやかなということは忘れてはならないと、にこやかに一つはなめられると、( ? )場合でも、私はにこやかで解決( ? )ことはないと、例えば( ? )難しい問題であろうとも、どのような場合でも、その、そのすべての対決においてです、にこやかにと言う事、それから明るい心であると言う事をですね、お互い一つ肝に銘じて私は日常生活の様々なことの中にここを頂いていく。そこから、はぁー和らぎ喜ぶ心と言うのはこういうもんだなと、おかげは和賀心にあると仰るが、和の心、賀の心とはこういうもんだなということを、それに、取り組ませて頂いておって、そこを一段と感じます。その和らぎ喜ぶ心の向こうにおかげがあるのですから、そういうことじゃないのです、どういうような、例えば問題に直面いたしましても、ね、その、例えば、その問題、または、支えな事柄、日常茶飯事の中に起きてくる、支えな事柄の中でも、にこやかに、にこやかに応対が出来る。にこやかに解決される、明るく出来る、明るい心で、ここんところは少し、まあ、腹かいたような顔をしとかにゃんいくまいといったような事は決してないということ、ね、どのような問題、どのような事柄の中にあっても、私はこれを忘れてはいかんと思う。
ですからね、そこの向こうにおかげがあるとですよ、ところが、一日の内にですね、それをちょっと忘れておると、もう、とにかく、その、例えばことの自体なら自体をですね、見るとですね、こんなことしてというような、こんな、その、ことをしてという中にはです、もう、にこやかさもなかなければ、明るさもないのですよ。
だから、こんなことの中にでも、それを明るく、例えば、それを、例えば、注意をしなければならんもんなら明るく、または、にこやかに注意が出来ると、それじゃったら、効果的じゃないということは決してない、その向こうにおかげがあるんだということですよね。
私は、ここんところを一つ本気で、あの、まあ、日にち皆さんも取り組んでおいでであろうと思いますけれどもです、あの、もう、その、いわば、どんな支えな事の中にでも一つにこやかさと明るさというものを、先ず心の中に思い浮かべて、その教えを本気で心の中に頂いて、そして、私はその事柄なら事柄、人なら人に対していかなければいけない。 ここだけではブゥットしとくほうがよかといったことは決してないということ、ね、その向こうにおかげがある。和の心と賀の心というのは、私はそういう明るい心、または、にこやかな心、自ずと生まれてくるにこやかさといったような、いわば、心を、私は和賀心と仰るじゃなかろうかとおもいます、ね。
もう一つは、すべての事柄の中に、例えば、問題の性質なら問題の性質を良く見てと、最近いわれますが、問題の性質をよく見てです、これは腹の立つ問題なら腹の立つ問題でありましてもです、さぁーその腹の立つ問題を一つにこやかに解決し、ね、明るくおかげにしていこうと言う心構えをその前に一つつくらなければいけないと思うのですね。
どうぞ。
末永静行
2005年4月30日